— 孫美蘭氏(中央美術学院教授、李可染芸術基金会学術委員、呉作人国際美術基
来支鋼氏は、飾らない純粋さを求め、白紙の上に素敵な山水を描き、無限の可能性を秘めた白と黒で生き生きとした風景を見せてくれました。作品から新時代の壮大な雰囲気が伝わってきます。そして21世紀の改革開放を深める中国精神を探索し、伝承と開拓を貫き、絶えず練習して、想像力を向上させる姿勢は私に大きなインパクトを与え、感服いたしました。実に心を揺さぶるような美意識と表現力を持っています。積墨の純粋な美しさで、奥深くロマンチックな雰囲気を醸し出し、力強く、荘厳、縹渺たる、生き生きとした神さながらの境地に達しました。彼は中国画芸術の本質の高い境地、偉大な境地、そして真の境地に到達しました。中国文化に対する高度な自信、積極的な革新意識及び「積墨山水」を伝承・開拓する旺盛な活力で、中国画の発展の新たな未来の扉を開きました。
— 肖峰氏(中国美術学院元院長、中国美術家協会顧問、西安市人民政府顧問)
来支鋼氏の絵画のベースとなっているのは、中国絵画の水墨画法です。特別な積墨法を使用しており、飾らない墨象(筆と墨で生み出した具体的な形態)そのものを追求しています。来支鋼氏が一番重要視している積墨は彼が見つけ出した、自分に相応しい、一番好む芸術の道です。墨象の創作には、素晴らしい技法だけでなく、創意工夫も大事です。来支鋼氏は、墨の色の変化を操り、対象物の質感、量感、空間感を表現し、視覚と画境両方を豊かにしました。羽のように薄い雲、厚くて重苦しい黒い霧、聳え立つ高山、果てしない空。来支鋼氏は素晴らしい積墨技法で、中国の画家たちが信仰し、表現したい伝統文化の本質、文化の真髄、中華民族の精神と民族の魂など、多くの要素を体現しています。来支鋼氏は具体的な墨の色、墨の形、墨の気韻で、自然の法則に従い、自然と調和する水気、霊気、仙気を表現しました。そして中国画の精神を守り、水墨画の優越性を最大限に生かし、調和のとれた表裏一体の美学を際立たせ、自分の「来氏流山水」を形成させました。従来の様式化された絵画スタイルから、自分のスタイルを見つけ出したその技法は、間違いなく芸術の絶え間ない革新と発展の本質や法則そのものです。これは時代の発展と文明の進歩の産物とも言え、新しい意味を持ちます。
— 李宝林氏(中国国家画院院務委員、中国画学会副会長)
正直申し上げると、来支鋼氏の作品はいささか難しいです。色があれば、不足のところを遮ることができますが、墨しか使わない場合、高いスキルが要求されます。 来支鋼氏の作品はどの部分も細部にこだわっており、筆墨の使い方や強弱についても、自由度が高く、非常におおらかです!絵画の気韻にも衝撃的なところもあれば、繊細なところもあります。それが来支鋼氏の一貫した絵画思想に関係しており、遠くから見ても近くで見ても、その美しさと真摯な気持ちを感じることができるのです。伝統的な積墨法の点から言うと、来支鋼氏は独自のものを持っており、積墨で表現し難い雲や空気に生命力、躍動感を与え、繊細に描いています。筆墨や雲煙を一番うまく捉えている画家と言えます。
— 孫克氏(有名な美術理論家、中国画学会元副会長)
来支鋼氏の山水画は壮大で独自のスタイルを持っています。来支鋼氏は知恵と度胸を備え、コツコツと自分の道を歩む立派な画家です。来支鋼氏は可染先生の芸術精神を受け継ぎながらも、自分なりに探索していることが感じとれます。絵の気韻、雰囲気は非常に重みがあり、全体から見ると、すごく立派なものであり、他の人の作品と大きく異なります。来支鋼氏は独自の追求があり、これまでの伝統的な山水画とは異なり、水の使い方が独特で大量に使っています。変化に富む雲を生き生きとして表現できる点では、非常に独特のものであり、自分のスタイルがあります。これは山水画の新たな発展方向であり、可染先生の積墨山水画を発展させたとも言え、非常に素晴らしいものです。
— 石斉氏(著名な画家、中国国家画院研究員、北京画院芸術委員会元副主任)
来支鋼氏の山水画は墨を使っていますが、現代性と全面的なところをうまく表現しています。来支鋼氏の多くの絵画には、中国画の魂が宿っています。山頂、麓、そして雲や画面の構成にいたるまで、すごく本格的なものです。筆墨の使い方も上手で、立派な勢いを表現し、強い個人的スタイルを持っています。昨今の社会において、中国画の「墨の趣」は忘れ去られてしまいましたが、来支鋼氏は「墨の趣」を特に重視しています。そればかりか、以前のものを超越しています。絵を描く中、来支鋼氏は伝統的な詩的気韻をうまく受け継ぎながらも、独自の画風を持っており、独自の画派を形成させました。本当の偉大な画家というのは、才能もさることながら、人一倍努力し、知恵を駆使しています。このような人は絵を描かなくても、立派な人になるに違いありません。
— 皮道堅氏(著名な美術評論家、中国美術家協会策展委員会副主任)
来支鋼氏の芸術山水画は、「以形媚道」(形式の美で道の気韻を伝えること)「澄懐味象」(澄んだ心で審美対象を観察すること)、「澄懐観道」(人と自然の調和が取れた状態で物事の法則と人生の要諦を体験すること)という偉大な伝統をうまく受け継ぎ、新しい境地まで発展させました。伝統が偉大なるほど、それを突破することが難しくなると思います。莫大な勇気、知恵と力が要求されますが、来支鋼氏はそれをやり遂げました。現代において、彼の芸術は伝統派の最高峰となりました。来支鋼氏の芸術は儒教、仏教、道教といった東洋文化の精神を体現しました。彼の巨大な絵画は、非常に壮大なビジョンと立派なスタイルを備えた空前の作品です!作り出した広大な境地は現代人の美的感情と理想を表現することができます。また、彼は伝統的な中国山水画の筆墨技法を大きく発展させました。特に積墨で雲や霧、水を描く際に、壮大な気韻を醸し出した点においては、空前のものであり、中国水墨画の「積墨」技法を新たな高みへと到達させました。来支鋼氏の現代山水画は、李可染先生に続き、中国山水画をさらに一回発展させたと思います。来支鋼氏の山水画は、伝統文化を現代風に転換させるのか?いかに現状を踏まえて未来を築いていくか?というお手本を提供してくれています。非常に素晴らしいことです。
— 劉曦林氏(著名な美術評論家、中国美術館研究員)
来支鋼氏は現代山水画を受け継ぎながら、変化を求め、変化の中で生まれ変わりました。来支鋼氏の変化は、積墨によって形づくられる壮大な勢いに関わり、自由気ままに描けた雲煙の立派な気韻に頼っているかもしれません。「雲は詩のために留まった」という古代人の言葉は、中国の詩と絵画の美しさを表現しました。来支鋼氏はそれを悟ったため、「雲禅」という別名を付けました。彼は集まる長い雲、踊っているような雲、雷のような光を描くのが好きで、白黒で万物に鮮やかな色を与え、墨象で詩的な雰囲気を作り出し、山川の壮大な美を表現し、老子の道を悟りました。来支鋼氏は芸術の法則をまとめるのが得意で、その作品は境地、気韻の壮大な美に満ちています。
来支鋼氏の作品に関して言えば、これほど立派な絵柄と作風の山水画は見たことがありません。彼は最もシンプルで簡潔な白と黒で絵を描いています。彼の絵を見て、私は音楽のリズム、音楽のメロディーが聞こえてきました。彼は黒と白の静的な筆墨で躍動感をうまく表現しています。最も難しいのは、彼はこの世の極めて複雑な美の境地、美の関係を最も簡潔な筆墨と最もシンプルな要素で表現していることです。皆さんは今まで、このような画法を見たことがありますか?私は見たことがありません。斉白石の絵でも見たことがありませんし、黄賓虹の絵でも、李可染の絵でも見たことがありません。すごい衝撃を受けました。これこそ来支鋼氏のスタイルです。
来支鋼氏の絵画はすごく衝撃的で壮大なものです!深遠な意味を持ち、すごい勢いを見せました。古代人は「筆墨は学びの積み重ねから生まれるものである」と言いましたが、勢いそのものは生まれつきの才能であり、一般人は真似することができません。その勢いを表現するには、画家自身の才能はもちろん、上手な筆墨技法も不可欠です。彼の作品は雄大で勢いがあると言えます。勢いも彼の作品の優れたところです。作品全体の構図は非常に充実していますが、変化に富み捕らえがたいするところもあります。滝や白い雲などの白を通じて、現実と空虚、強と弱のコントラストを織りなすのが来支鋼氏の絵画の特徴です。作品にとって最も重要なのは、絵に描いていないものを表現することです。小さいことから大きな境地、大きなイメージを連想させることができるのも素晴らしいことです。
— 呉静山氏(中央文史研究館館員、華鼎国学研究基金会理事)
来支鋼氏の作品はまさに「元気淋漓、湿った帳の如く、真宰に上告、天も泣く」という杜甫の詩にぴったりです。壬寅の月、蓮が咲く頃、私は彼の大作を鑑賞するために、継東仁棣と広東美術館にやって来ました。 彼は長年積み重ねてきたしっかりとした技術と、力強い筆触で素晴らしい風景を描きました。筆で描いた安定した線と少しずつ濃くなった墨で、壮大な勢いを表現し、見る者の気持ちを高揚させます。来支鋼氏は古代と現代の巨匠たちの長所を吸収し、自然と人の関係を研究し、そこに道を託し、自分のスタイルを形成させました。素晴らしい作品がたくさんあり、何度見ても飽きません。思わず「山の魂、水の変化、雲の躍動は実に美しい!来支鋼氏に感服した」と感嘆してしまいます。
来支鋼氏の絵画はすごく衝撃的です!黒い部分は透明感があり、潤いを感じることができます。白い部分は光が差し込んでいるように明るいです。ここまで表現できる人は少ないです。彼は伝統的な中国画の技法を突破し、特に雲の描き方に強い個人的なスタイルを持っています。質感、雰囲気、勢い、そして個人の度胸はどれも極みに達しており、実に感服しました。
— 李小可氏(中央文史研究館館員、李可染芸術基金会理事長)
来支鋼氏は絵をとことんまで研究できる人です。これも来支鋼氏が成功できた重要な理由です。私は来支鋼氏の意気込みと継続的な努力と切り離すことはできないと思います。 来支鋼氏は中国画の「積墨」を完全に会得し、生活の中で道理を悟り、さらに変化に富み、勢いのある、縹渺たる山と雨や雲の関係をとらえ、積墨に自分独自のスタイルを融合させました。彼は単に雲と山を描いているのではなく、墨の趣と墨の空間感や厚みに転換しました。長年の実践により、水墨と山の構造、空間、空気と山の厚み、雲の躍動感を上手に表現できたため、独自のスタイルを生み出すことができました。
— 王仲氏(中国美術家協会理論委員会元副主任、『美術』誌元編集長)
来支鋼氏の絵画は、ワイドスクリーンで映画を見たり、交響曲を聴いているかのようです。非常に立派な構造を持ち、勢いがあります。文字による説明がなくても、絵の中の世界にいるかのように、その壮大さを感じることができ、実に素晴らしいことです。彼の山水画は大きいですが、余計な余白がありません。内容が豊かですが、無駄がありません。山峡の雲や霧など、重要な局部から構図し、内部から湧いてくる複雑な勢いと構造的なインパクトを受けます。「黒雲、城を圧して城くだけんと欲す 」という視点から、壮大な山と川を表現しました。そのため、彼の絵は人々を征服し、見る人の視線を引きつけ、感動させます。来支鋼氏の正気にあふれる巨大な山水画の前に立つと、その荘厳さと崇高美から、間違いなく芸術的な中国精神を感じることができます!
— 黄光男(台湾歴史博物館元館長、台湾芸術大学元学長)
来支鋼氏の絵画芸術は、中国文化の強固な基盤に基づき、筆墨技法で時代性を表現する東洋文明です。来支鋼氏は山の壁や山嶺に逆光を当てる手法を活用することで、山陰や渓谷の豊かな変化を表現しています。山の渓流から生まれる霧に雲煙と四季折々の景色を足し、生き生きとした雲、晴嵐を描いています。現代感あふれるこの新しい技法は、新世紀の水墨画の新たな創造であり、新しいスタイルでもあります。間違いなく今世紀の水墨美学を発展させ、中国山水画に新しい魂を宿しました。来支鋼氏は東洋美学、中国の禅と自然の景色から、絵画創作の内包を求め、壮大な勢いを与えることで、立派な絵画表現を実現しました。来支鋼氏の作品は一般の人々から賞賛されるだけでなく、芸術家にとっても尊敬されるべき作品です。
— 王鏞氏(著名な美術理論家、中国芸術研究院研究員)
来支鋼氏は現代中国山水画の新たなスタイルを創造しました。「積墨」を極限まで発揮することにより、老子と荘子の伝統的な中国哲学思想を現代美学の範疇に融合させ、転化させることができました。非常に見習う価値があります。来支鋼氏は積墨技法で、重厚で勢いのある山を描き、躍動感にあふれる雲と水に半透明な質感を与えました。伝統的な中国画にはこのような表現はあまりありません。軽くて縹渺たる雲煙と、重くて堅固な山々との対比が、さらに画面の壮大な勢いを強調しています。シンプルの墨で変化に富む黒、白、灰を作り出し、独自の美学を表現しました。思わず、百年の苦しみを経た中国の復興を連想させました。この強力な精神的力は感動的で、衝撃的です!
— 任道斌氏(中国美術学院教授、中国美術学院国際教育学院元院長)
来支鋼氏の作品は、黒、白、灰色のみで構成され、謹慎に墨を使っています。一筆一筆が交錯して、豊かなグラデーションを作りました。顔料を使わなくても、山と川に映った雲と光、山の明暗、峰の谷の対比を生き生きと表現し、趣を与えました。飾らない自然と水墨の強い生命力、豊かな表現力を呈しました。絵の中の雲に覆われた山は雄大で美しく、すぐにでも飛び出してくるような躍動感があります。その勢いは大将軍のようで、その偉大さは君子のようです。シンプルで率直、穏やかで気楽、まっすぐにそびえ立っています!これは老子の簡潔な弁証法をうまく利用していることに関係しております。画面の構図、形、筆致を利用して、横と縦、硬と柔、大と小、多と少、仮想と現実、濃と淡、明と暗、深と浅、四角、丸、線や面などの矛盾を変化の中で統一しました。その起伏は詩や歌のようで、人を引きつけました。来支鋼氏はまた多様な作品で祖国の山川の美しさと雄大さ、中華民族の不屈の気質、平和な新時代に生きる幸福を謳い、積墨山水画の新しい楽章を奏でました。彼の絵は、飾らない美しさがあり、情緒にあふれています。水墨画ですが、色とりどりの風景が見えて、実に感動しました。
来支鋼氏は李可染氏の伝統的な山水画を受け継ぎならが、新しい要素を入れ、発展させました。巨大で勢いのある絵からすごいインパクトを受けました!彼は李可染先生のように光を表現しているだけでなく、雲と山の縹渺たる雰囲気も表現しています。彼は非常に優れた現代の山水画家だと思います。特に伝統を受け継ぎ、進化させるという面において、大きく貢献しました。山水画を発展させることは難しいことですが、来支鋼氏は独自の芸術表現で、有意義な探索と革新を我々に見せてくれました。
来支鋼氏は、無限の深さ、無限の大きさ、無限の力と無限のボリュームを表現できる技法を選択しました。「雄大で勢いがある」は彼の巨大な絵画の一番の特徴であり、「呉山の雲雨を断つ」気迫を持っています。彼の「積水」という絵画手法は前例のないものであり、水の作用により、多くの妙技を生み出し、中国水墨画に「積水」技法を最大限に活かしています。水墨は紙の繊維に均一に分散させることはできませんが、「積水」により、うまく分散できない水墨に活力を与え、昇華させることができました。これは哲学の突破であり、美意識の突破でもあります。彼は新しい創作手法を作り出し、後世に新たなインスピレーションを与えました。後世の人がこの道、この哲学的思想、この美的思想に従うと、中国画をさらに発展できると思います。
— 陳伝席氏(著名な美術評論家、中国人民大学教授、博士課程指導教員)
来支鋼氏の山水画の特徴は、「壮大で勢いと厚みがある」に要約できる。しかもこの特徴は非常に顕著であり、世間並みではありません。 巨大な絵画の勢いは実物を見なければ伝わりません。彼の積墨技法は先人たちの長所を吸収し、また自分の創意工夫を入れ、豊かさと重厚さを兼ね備えています。彼の絵は重厚さを極めました。彼の厚みと深みはまさに新中国が求めている壮大な時代精神と一致しています。来支鋼氏が描いた雲は時代を超えた傑作と言えます。雲は上から下までだんだん濃くなり、変化や躍動感に富みます。古代のスタイルとも、現代のスタイルとも異なり、自分独創のものであり、現代感があります。芸術の基本は技術です。彼は独創的な技法で生き生きとした雲を描きました。 新しい流派を生み出すには独創的でなければなりません。独創的でなければ、新しい流派を生み出すことなど不可能です。
— 李庚氏(李可染画院院長、日本京都芸術大学教授)
来支鋼氏は水墨に情熱を持ち、水墨に対する理解も前より進化しています。彼の作品をじっくり鑑賞すると、その筆墨の変化に気づきました。特に雲の変化においては、より上手になりました。本当に素晴らしいことです。巨大な作品の内容と水墨の面においては、また新な突破口を見つけました。小さい写生作品でも細かく描かれています。私は、来支鋼氏の努力と奮闘により得たその実績に感服しました。私は来支鋼氏の芸術的実績を祝うとともに、中国芸術に対する彼のより大きな貢献を期待しています。
来支鋼先生の作品には21世紀の現代性が色濃く反映されています。来支鋼先生の滝や水の流れ、水域、雲海に対する表現手法は見たことがありませんし、歴史上でも似たようなものもみたことはありません。水や雲に対する画法は来支鋼先生独特のものだと思います。つまり、一目で彼の作品だとわかるということです。 この「芸術スタイル」は芸術家の創作において非常に重要なマイルストーンのようなものです。来さんのマイルストーンとなるのは水や雲に対する表現だと思います。来支鋼先生の山水画からは、「天人合一」の哲学境地を見出すことができます。これも来支鋼先生の絵画の最も貴重な部分だと思います。
来支鋼氏の絵は衝撃的で、すごく鼓舞されました。実は「白黒」は中国の思想の基礎です。中国の思想は易経を研究することから始まり、昼と夜で常に変化しています。 「白黒」と「墨は5色に分かれる」は中国画の基本であり、中国画の根源であり、中国画が油絵などの絵画種類と異なる重要な点です。来支鋼先生は白黒で雄大で勢いのある絵を描きます。「白で黒」を作り、黒で白を際立たせ、「墨は5色に分かれる」という伝統を継承しています。ご周知の通り、龔賢は白黒に特徴を付け、現代の李可染は白黒を新たな段階に発展させ、光りの明暗を取り入れました。個人的には、来支鋼氏がそれを極限まで押し上げたと思っています。 中国画は中国の伝統的な中医や中国功夫と同様に、努力を重ねて磨く必要があります。来支鋼先生は心を落ち着かせ、未知なることを探索してまとめ、自分を向上し、やっと今日の実績を獲得しました。本当に素晴らしいことです。
— 黎展華氏(広東省人民政府文史館館員、広東省コレクター協会名誉主席)
来支鋼氏の山水画作品から、大きな情熱、大きな境地、素晴らしい精神を感じることができます。伝統を受け継ぎながらも現代に立脚し、先人たちの成果を踏まえ、徹底的に整理してまとめています。来支鋼氏の絵画はマクロとミクロの組み合わせを十分に体現しています。古代人が理解していた圧迫感をはるかに超え、伝統的な山水画を現代の頂点に発展させています。筆墨に対する使い方も完璧な境地に達しています。師匠から教わった知識を守りながら、自分が悟ったことを作品に取り入れ、師匠が歩んだ道を証明しました。個人的には、来支鋼氏はより高い境地に達し、中国山水を新たな段階まで発展させた方だと思っています。
— 范揚氏(著名な画家、中国国家画院ポストドクター指導教員)
来支鋼氏の作品『芸道』を見て、その壮大な山と川に感動しました。「千の岩は美しさを競い、万の谷は流れを競う」と古人は言いましたが、この作品はまさにそのような雰囲気を反映していると思います。宋の時代のスタイルを持つ立派な山水、渓流、木々から、画家の度胸が分かります。水墨の使い方においても、可染先生の穏やかさ、力強さを持ち、そして范寛氏の雨粒皴技法を利用することで、山々の立派なイメージを作り上げています。来支鋼氏はその革新、創作を現代水墨山水画に反映させて大きな成功を収めました。現代山水画の新勢力であり、先駆ける画家といえるでしょう。
— 羅一平氏(中国美術家協会策展委員会副主任、広東省中国画学会副会長)
「現実の境」を主体とした来支鋼氏の山水画は、荘厳で壮大な空間を作り上げました。 視覚の面から言うと、有形と無形、有状と無状を統一させ、時間と空間の制限を超越した領域を作り出し、重厚で落ち着きがある逞しい美しさを表現ししています。「仮想の境」を主体とした彼の作品は、すべてが雲や霧に覆われ、霞んだ煙の中にあり、天地無言、大象无形の千年の寂しさを表し、縹渺たる美しさをイメージ化しています。意図しているのか、または意図せずなのかはわかりませんが、水墨画と中国哲学の内的なつながりを結び付けました。そのため、彼の山水画は特定の対象に束縛されず、主観的な感情を客観的な対象に含ませ、筆墨、現代美学の表現方法及び芸術に対する形而上の美意識で、自分が人生に対する追求を無限な芸術的概念に変え、「現実の境」の物象で「仮想の境」に対する自分の体得を説明しています。
来支鋼氏の雄大で感動的な絵画には、驚くべき大きな世界が広がっており、新たな気づきを与えてくれました。実に感服しました。来支鋼氏の作品は、乗り越え難い三つの山「龔賢、黄賓虹、李可染」を越えて、非常に奥深いものであり、独自のスタイルと精神を持ち、新しいものを感じさせました。来支鋼氏の積墨山水画は、人々に大きなインスピレーションを与えました。そして伝統水墨画に新たな革新を起こしたことが最大の功績です。個人のスタイルも持ち、現代を代表する水墨画と言えます。最後に私が書いた詩で話しをまとめたいと思います。「師牛堂に雲煙が立ち込み、法脈の写生に革新をもたらす。芸術こそが唯一の道、支鋼の積墨が新たな精神を生み出す」
来支鋼氏の作品は伝統から現代へと変わり、非常にユニークで特徴的な創造的要素を形成させました。要素と要素が混じり合い、新しいスタイルの水墨山水を作り上げました。じっくり鑑賞すると、その風景に惹きつけられ、自然の美しさに心から感嘆させられます。来支鋼氏の作品を展示するホールに入ると、間違いなく彼の大きな作品に衝撃を受け、感動してしまうでしょう!雲を描いて暈染(ぼかしぞめ)する際に、こういった扱い難い紙の特質をうまく利用している点からも、彼の凄さが伝わります。
来支鋼氏の作品から、李家山水を受け継ぎ、それを革新・発展させたことが分かります。西洋美術史に精通している人であれば、彼の山水画から、幻、光と影を取り入れた「バロック」の芸術的特徴を確かに感じることができます。これも来支鋼氏の水墨芸術の視覚的特徴の一つです。李可染先生の芸術的創作を支えた妻の鄒佩珠先生は生前、来支鋼氏に「伝承及び開拓」を題字し、思いを託しました。李可染先生は臨終される間際に、李宝林先生に「大きな転換が必要だ」という遺言を残し、中国画の更なる発展を期待していました。その意味で新たな角度から、過去数十年に来支鋼氏が作り上げた作品を見ると、可染先生の遺言を実現したと言えるでしょう。
— 熊宜敬氏(キュレーター、『コレクション』誌と月刊『大観』の編集長)
来支鋼氏の作品にある精神は李可染先生の八字奥義「可貴者胆、所要者魂」(芸術作品において、最も価値があるのは、勇敢に革新することであり、最も本質的なのは、作品に魂を宿すことです)に一致しています。来支鋼氏は自分の進みたい道をはっきり認識しています。若い世代にとっては、非常に大きな意味を持ち、見習うべき点だと思います。来支鋼氏は「芸術作品の創造は自然から学びます。自然の美しさが自動的に芸術の美しさになるわけではなく、その変容の過程には芸術家の内面の感情と構築が不可欠です」という絵画の原理を貫き、常に心を込めて絵を描いています。来支鋼氏が描いた雲は明るく輝いています。このような明るさを作り出すのは非常に難しいことであり、その流れも躍動感にあふれています。また、絵全体の白と黒による強いコントラストや仮想と現実が依存しあうボリューム感に感服しました。
来支鋼氏の絵画から伝承と開拓、伝統と現代性を感じることができます。北宋の時代の李唐、范寛、そして近代の李可染、陸儼少の影響を受け、彼の絵画には伝統的な部分があります。しかし、単に昔のものを受け継いでいるだけでなく、自分も開拓・革新しています。たとえば、彼が描いた雲を見て独特さを感じることができます。躍動感にあふれる絵は伝陳席氏が言った躍動の美、男性的な美を表し、一種の開拓と言えます。彼は中国の山水画を通じて、ダイナミックな美しさを表現しました。実に素晴らしいことです。公共性を強調する現代の展示空間は、(特に海外で)このような巨大な絵を必要としています。これほど大きな絵を描くことは決して容易なことではありません。しかも確かに現代の展示空間に適しています。
— 陶文傑氏(浙江省国際美術交流協会副主席、秘書長)
展覧会現場で見た来支鋼氏の絵はWeChatやアルバムで見た感じとまったく違い、グラデーション、立体感、空間感があり、とても衝撃を受けました!画家、特に中国山水画家はが自分のスタイルを形成させることは非常に難しいですが、来支鋼氏は積墨の技法で、突破口を見つけ、独自の特徴を作り上げました。彼の作品は強いアイデンティティがあり、独自のスタイルと表現力を持っています。実に素晴らしいことです。歴代の巨匠から吸収した良いものを、自分が表現したい積墨と融合させることで独自の絵画スタイルを確立し、他の人が真似できない来支鋼を作り上げました。
来支鋼氏の作品は、形、気韻、墨の韻から、力強さ、山水精神の表現まで、非常に独特の味わいを持っています。この芸術家が自然と伝統を深く理解しており、筆墨の技法を深く研究しているだけでなく、さらに技法を芸術に対する揺るぎない追求に溶け込み、伝統的な山水画に新たな解釈をしたということが分かります。芸術家にとっては非常に難しいことなので、実に感服しました。彼は勤勉さを重視しながらも、技法の創造を強調しています。この創造のインスピレーションは自然への認識、山水への悟りから来ています。人間社会と自然の間を行き来して、時間と空間を活用することで、人と惹きつけ、共感させる芸術作品を作ったのです。
— 陳篠君氏(台湾羲之堂社長、中華文物学会理事長)
来支鋼氏は古代人がなかなか作れなかった大きな作品を作るのに長けています。来支鋼氏は積墨という技法を大きな作品に入れ、一番優れた芸術表現で積墨山水を表現したのだと私は感じています。雲の変化、特に雲と山水の繋がりが彼の最もユニークな特徴です。まるで現実の風景と融合したかのように、非常に自然です。この点から、彼は東洋と西洋のスタイルをうまく融合させた代表的な人物だと思います。通常の伝統的な中国画では、3D画像のような現実に近い美しさはめったに見れませんが、彼の山水画はそれをうまく表現しています。来支鋼氏の絵画からは、真面目さと芸術に対する創意工夫が伝わります。人を感動させるには誠実でなければなりません。来支鋼氏の芸術から、私はその誠実さを感じました。
来支鋼氏の白黒を基調とした山水画は非常に素晴らしいものであり、インパクトを与えてくれました!来支鋼氏の作品は、李可染先生の山水画芸術の境地、表現、技法を継承しています。来支鋼氏の重厚で雄大な山水画は伝統的な技法をしっかりと継承しつつ、写生や二次創作を通じて自然を自らの作品に融合させ、自らの筆墨で伝統、李可染先生と自然に敬意を表しています。来支鋼氏の山水画からは、中国の山水の歴史を残したいという思いが感じられます。
来支鋼氏の壮大な作品からは、中国文化の長い歴史を感じることができます。厚み、勢い、威厳、活力が彼の絵画に十分に表現されており、強い視覚的インパクトを受けます。来支鋼氏は作品を通じて、新時代のスタイルを反映しながら、独自のスタイルを確立しました。 バッと見た感じでは「黒」のイメージが強いですが。透明度が高く、重厚感があり、画面全体が温かみと勢いを表現しています。来支鋼氏は山水画の特徴、韻律、気韻をうまく把握し、正気を感じさせました。山の線と勢い、雲の筆致と輪郭が調和し、軽と重、動と静など、変化する関係性を画面に反映させ、自身の理解と独創的なものを入れました。実に素晴らしいことです。
— 何加林氏(著名な画家、中国国家画院美術館元館長)
来支鋼氏の作品を見ると、「李家山水」を受け継いていることが分かります。光と積墨を運用している点では、李家山水の芸術的スタイルを継承していると言えます。 来支鋼氏は生活を観察し、自分なりに理解することで、独自の積墨のぼかし方法と筆の使い方を編み出し、李家山水と異なる独自の芸術スタイルを形成しました。来支鋼氏が描く躍動感のある波や雲のイメージは、可染先生が一度も踏み入れていなかった境地です。実は、来支鋼氏は李家山水の積墨技法、光と影の表現手法を利用し、違うテーマを描いています。例えば、雪山、川、波の表現においても、その探求心は見習うべきだと思います。
来支鋼氏の山水画は李家山水の勢いとスタイルを受け継ぎ、技法表現やテーマの選択においても可染先生の影響を受け、山水に焦点を当てています。これをもとに、来支鋼氏は立派な山水、雲を表現することで、独自の特徴を形成させました。来支鋼氏の代表作である『潮』では、来支鋼氏自身の特徴と追求が最大限に発揮されています。従来の伝統的な山水画では、筆墨はほとんど輪郭を描くか、画面をぼかすかのために使われていましたが、それに対し、来支鋼氏は積墨または余白を使い、立派な山水をうまく表現し、大潮の勢いを強調しています。
— 孫黎氏(広東省美術家協会副主席、中国重大題材美術創作委員会委員)
伝統的な山水画の特徴を受け継ぎつつ、現代中国の要素も取り入れることが来支鋼氏の絵画の特徴です。これまでの伝統的な山水画家とは異なり、来支鋼氏の作品は顕著な現代性も持っています。画面の色彩や効果処理、画面全体の立体感、豊かさ、特に山や雲の描き方は独自のものがあります。伝統的な山水画は、雲や水にこだわることはあまりありませんが、来支鋼氏は独自の表現方法で雲と山を表現しています。
— 尚輝氏(中国美術家協会理論委員会主任、『美術』誌社長兼編集長)
来支鋼氏の絵画は、完全に現実の山水から来ているわけではなく、自分の主観的な想像力を体現しています。再構築された山水スタイルは、形だけを表現しているのではなく、不思議な新しい視覚体験を与えました。雲や水に積墨技法を使い、形が変わるものを描くことで、触れられる世界に変化させました。私たちの山水画、伝統に対する認識を大きく変えました。 来支鋼氏は積墨だけを使っているわけではなく、岩の質感を表現するために斧劈皴(ふへきしゅん)も少し取り入れています。儒式の筆墨だけを使う場合、山水の質感への表現力が足りなくなります。このような技法の組み合わせは、間違いなく、来支鋼氏が山水画の山石質感と筆墨技法に対する再創作です。雲と水に山石のようなボリューム感を与え、さらにそのボリューム感から不思議な変化を求めることは、彼の芸術の特徴です。
来支鋼氏の作品から、立派なスタイル、立派な勢い、立派な境地を感じることができます。来支鋼氏は民族の文化的伝統を尊重し、生活を心から愛し、芸術活動において革新と創造を求める芸術家です。芸術そのものに対する研究と把握を含め、来支鋼氏は思想と芸術性の面で大きな進歩を遂げました。テーマへの関心から、昇華までの一連のプロセスから、彼の芸術に対する最も基本的な理解、芸術的境地と深い思想性を感じることができます。さらに、彼は民族の文化的伝統、民族のスタイル、民族の精神、民族の気概を求め、より深く自分の認識を向上させています。今まで以上に芸術にこだわり、最も中華民族の特徴を芸術的な筆墨と白黒で表現しています。彼の創意工夫と達成した功績は、見習う価値があります。
来支鋼氏の絵画はすごく衝撃的です!巨大な作品は大きいですが、余計な余白がなく、豊かな内容を含んでいます。中国水墨画において、これほどサイズの大きい作品を作るのは難しいことです。しかし来支鋼氏は中国画の伝統的な技法を十分に把握しているため、自分の理解と優れた筆墨で巨大な作品に見飽きない要素を入れました。実に素晴らしいことです。サイズの小さい作品も立派な空間感と勢いを持っているため、視覚的なインパクトを与えてくれました。来支鋼氏の重厚で縹渺たる山水画作品から、伝統を受け継ぎ、発展させる彼の姿勢が分かります。
— 方土氏(中国国家画院美術館常務副館長、広東省美術家協会名誉主席)
来支鋼氏の作品は気迫があります!巨匠たちが作り上げた道に従いつつ、自分の感情を入れています。特に画面への全体的な把握と東洋西洋画風の統合については、もう一歩前進したと思います。来支鋼氏の小さな絵には雄大さがあり、大きな絵には飾らないシンプルさがあります。絵画は彼の芸術基盤と思想精神状態を反映し、この時代の発展に合致しています。古人にないビジョンを持ち、今を生きながら自分の芸術を探究しているのです。墨を数層積んでも、透明感と潤いを失いません。墨から作品の構成が分かり、調和した感覚が伝わります。来支鋼氏は「気」を十分に認識しているため、変化に富む構図で様々な絵画を自由に創作できます。この点においては非常に特別です。
— 李暁峰氏(上海大学美術学院教授、キュレーター)
来支鋼氏の作品を見ると、すぐにその勢いにびっくりさせます!彼は最もシンプルな色で最も壮大で立派な画面を作り上げました。実に素晴らしいことです。来支鋼氏の作品は彼自身の強い責任感、理想主義的な社会意識、英雄的な貢献精神を表現しています。その崇高な美意識が彼の高い志と雄雄しい文化的趣向を反映しています。従って、私は3つの側面から彼について語りたいと思います。一つ目は宇宙観です。彼が描く山水画は伝統的な山水画とはまったく違うものです。高い高度から山水画を見直し、徳を山水に喩えただけでなく、宇宙観も取り入れ、無窮、無限、無極の「道」を表現しました。荘厳さ、壮大さ、躍動感、深遠さを表現し、不思議さと神聖さを融合させることで、媚俗と猟奇を取り除きました。二つ目はプラスのエネルギーです。彼が描く光の感覚はロマン主義や印象主義を超えた超現実的な光感ですが、プラスのエネルギーを持ち、根拠のない超現実ではありません。三つ目は古きを踏襲しながらも革新することです。革新というのは、新しいものだけを学ぶわけではなく、古いものから新しいことを発見し、革新していく場合もあります。彼はちょうどこのような現代的な品質を備えています。
— 蔡樹農氏(『美術新聞』首席記者、西泠印社社員)
現代の山水画において、来支鋼氏は我が道をゆくような人物と言えます。彼は雲煙や川、海を芸術創作の重要な象徴的要素とし、色の中に色があり、墨の中に墨があり、繊細かつ大胆な筆致と豊かで深みのある気韻で、形には生命と感情を与えました。改めて、強い哲学的意味を持つ中国画の水墨表現手段に様々な可能性が秘められていることを証明しました。来支鋼氏の創作は古きを踏襲しながらも時代とともに発展しています。山、川、橋、あずまや、草木、月、人、船などすべてが霞んで、墨の濃淡、色の寒暖、新鮮さと奇妙さがうまく融合され、形と気韻を兼ね備えています。秩序を重視した来支鋼氏の水墨作品を鑑賞してみると、雄大な山や川から、その勢いが伝わります。穏やかな水面と高い空からその安らぎが分かります。墨をたくさん使った彼の大作がいっそうインパクトを与えてくれました。粗雑さを避け、平凡さを許しません。墨の濃淡でグラデーションを作り、黒い墨で温かみと鋭さを感じさせます。彼の墨使いは実に上手です。
— 馮少協氏(広東省美術家協会副主席、広東画院副院長)
来支鋼氏の作品の勢いに感動しました!黒い墨だけを使っていますが、内容の豊かさと筆致の繊細さ、墨の純粋さを兼ね備え、いくら見ても飽きません。実に素晴らしいことです!巨大な絵画は誰でも描けるわけではなく、それをコントロールする強い力が必要です。彼は自ら感じ取り、弛まぬ探索し、自分のスタイルを形成させました。
— 単増氏(中国美術学院教授、芸術教育と管理学院副院長)
来支鋼氏の水墨画はとても荘厳です!壮大な筆致と水墨の要素を使用して作り上げた新しい山水画は「来氏流山水」と呼ぶのにふさわしく、私たちに大きな衝撃を与えました。 特に「潮」が表現した壮大で波瀾万丈の雰囲気は、時代の力を感じさせました。古代の絵画とはまた違った作風を見せてくれたと思います。来支鋼氏の巨大な作品が表現した壮大さと気迫は、伝統的な山水画ではなかなか見られません。また、彼の細長い山水巻物は江南文化が強調する調和の取れた空と水を体現し、冬景色のような珍しい題材も取り入れました。
来支鋼氏の作品は、現代の水墨画の頂点に達したと思います。彼の特大の絵画は強い抽象性と現代性を備えました。その一方、彼の小さな絵画で養分を見つけることもできます。来支鋼氏は昔の山水画家と違い、心の中の山水世界を表現しようとしています。これほどの大きな作品を描くことは大変なことですが、視覚的なインパクトを与えることができます。私の直感では彼は巨大な絵を描くために生まれてきたのではないかと勝手に思いました。全体的に言うと、彼の作品は現代水墨画、抽象水墨画に属していると思います。彼の大きな作品や特大作品は特にこの2点を呈しています。
— 応金飛氏(浙江美術館館長、浙江省美術家協会副主席)
来支鋼氏の作品全体を見て一番感じたのは、彼の作品は私たちが認識している道教美学の典型的な特徴「虚もまた実なり」を備えていることです。雲を表現するために、文人画はよく白の空間を残しますが、来支鋼氏は伝統的な山水画の考えにとらわれず、その空白をボリューム感に変えています。「上善水の如し」「水常態なし」「水、道に近し」など、水に関する道教の言葉は、彼の作品でも感じることもできます。水は熱くなると気体になり、寒くなると氷になり、コップに入れるとコップの形になります。哲学の観点から言うと、動的な水を実体化する彼の手法は、逆転の発想と言えます。すごく印象的でした。彼の山水画と伝統的な文人画の最も大きな違いは、空間、グラデーション、厚み、ボリュームを重視していることにあります。これらの巨大な絵画の本源は道教にあります。しかし「積墨」を施すと、重厚さを感じることもできます。伝統的な絵画、伝統的な山水画を突破する勇気を持つ彼に感服しました。
— 楊大偉氏(浙江省伝媒学院設計芸術学院教授、キュレーター)
私は来支鋼氏の絵から、内なるつながりが見えました。つまり、真面目に、単純に、物事を扱うことです。来支鋼氏は古人の山水を見る方法を使用せずに、現代人のビジョンから世界を見ています。実に素晴らしいことです。これをきっかけに、彼の絵のビジョンが大きく変わりました。例えば「潮」という絵を見て、私は迫ってくる強い気迫と勢いにびっくりしました。来支鋼氏は形にもこだわり、一朝一夕に完成できるものではありません。絵画は嘘をつきません。真摯な姿勢とよほどの強い意志がなければ、このような大作を完成することはできません。私は彼の真摯な姿勢に感動しました。サイズの大きさはもちろん、大きさに対する理解も、小さいことで大きいことを成す手法も、芸術家としての姿勢も私の心を動かしました。
来支鋼氏の巨大な作品は、雄大な勢いを反映しており、彼の広い心が分かります。雲を描くことについては、董其昌の『画禅室随筆』に書かれているように「画家の趣はすべて雲煙の変化にある。しかし、山水画の場合は、色で染めることができないため、墨でぼやし、流れる気体を作り、躍動感を与えるのだ」。来支鋼氏は絵画はこの言葉に当てはまることができます。彼は線で輪郭を描くのではなく、積墨の技法で生き生きとした雲を描いています。彼は客観的な物体から完全に離れているわけではなく、自然と接する中、主観的な感情を表現しています。彼が創作する際に、きっと中国山水画の本質を理解していると思います。
— 王紹強氏(広東省美術館協会会長、広東省美術家協会副主席、広東美術館館長
来支鋼氏は強い個人的スタイルを持つ芸術家であり、優れた創造性を発揮しています。筆墨、思想と壮大な山川に対する表現力と完成度は、非常に特徴的なものです。来支鋼氏は創作する際に、不要なものを捨て、肝心な要素だけを使っています。例えば、彼が使う墨、筆と紙はどれも中国画の最も基本的な道具ですが、こういった道具で立派な山川を表現できました。現代の中国画家と比較すると、彼は巨大な絵をコントロールする優れた能力を持ちます。
来支鋼氏の絵画は中華芸術文化の特徴を持ち、作品の形式と気韻の面から見ると、伝統的な山水画を超え、新鮮な時代感覚と時代の雰囲気を持っています。ある程度、西洋絵画のようなインパクトと表現力を持っています。彼の「積墨」は筆墨の積み重ねであり、努力、労働、学習、思考、感情も積み重ねています。雄大な外観、険しい雰囲気、勇壮な美意識を見せなから、毅然とした品格や重厚な威厳を体現しています。それは非常に難しいことであり、適当な絵画作品とはまったく対照的です。 来支鋼氏の穏やかで威厳のある筆墨で作られた彫像のような立体的な白雲は記念碑のように、崇高で神聖です。見る人に現実か、幻かもはや区別できない魅力と無限の想像力を与えました。来支鋼氏は絵筆を手に、中国の大河や山々の壮大な雰囲気を表現し、中華民族の自信と自彊の精神を体現し、偉大な復興の時代とも調和しています。来支鋼氏の芸術的探求と追求は、伝統的な筆墨に新たな性質と意味を与え、中国の伝統芸術の活力と現代社会における価値と重要性を十分に示しているため、彼の作品は間違いなく21世紀の名作になるでしょう。
来支鋼氏の芸術は壮大で勢いがあり、確かに非常に衝撃的です。生まれつきの芸術的才能や、筆墨に注ぎ込んだ創作に対する熱情で、山や川を描くスキルを発揮しながら、繊細なところにも自分の見解があります。力強い筆致と濃い墨で聳え立つ山と川と雲を表現しました。 豊かなグラデーションと幻と現実が混じりあった透明感のある画面は、山と川の雄大さを強調するだけでなく、画家の心の中にある山や谷を具象化したものでもあります。特に筆と墨の使い方は柔軟で、濃さや触感の異なる墨跡が絡み合い、適度に集まったり分散する線は表現力があり、画面全体の質感とテンポを効果的にコントロールしました。雲や水に対する表現は特に強い個人的スタイルを持ちます。彼の巨大な作品の前に立つと、伝統的な筆墨画を守っていく勤勉な芸術家の姿が見られ、その作品が反映した根本を貫いて革新を起こす時代精神を感じることもできます。
— 王平氏(中国美術家協会副秘書長、『中国美術新聞』社社長、編集長)
来支鋼氏は対象物の形で絵を構築し、墨で気韻を醸し出します。筆墨の本質と根本を貫きつつも、絵画テーマと表現の革新の点から言うと、先駆的かつ画期的な「変化」を遂げています。たとえば、雲煙、水、積墨法と時代の題材の結び付きについて、来支鋼氏は自分なりに探究しています。来支鋼氏の山水画は、昔は雰囲気にこだわっていますが、今は心の考えをイメージ化する傾向にあります。中国の伝統的な「山水を旅する」「澄懐味象」(澄んだ心で審美対象を観察すること)を体得し、心象山水に基づいた抽象的な芸術発展を体現しました。その荘厳で崇高な美しさは、私たちの時代の発展における現実的な芸術課題にも関連しており、また、我が民族が強さを求める時代精神とぴったり合い、自分なりに李家山水を突破したのです。
来支鋼氏の絵画からは、李家山水を継承していることが分かります。最も重要なのは、彼自身は李家山水を受け継ぎながらも、自分だけの芸術表現を見つけたいと望んでいます。「満ちる」という概念から分析してみます。もちろん李家山水にも「満ちる」ところがありますが、来支鋼氏の「満ちる」には現代的な構成が見て取れ、縹渺たる感じがします。水であろう、雲であろう、どれも彼の個性的な表現方法を体現しています。
来支鋼氏は宋、元の山水画に基づき、現代山水画のさらなる可能性を探求し続け、主観的なイメージと意識を加えることで、最終的に忘れられない、魂を揺さぶる絵画スタイルを形成させました。彼が描く水は変化に富み、非常に幻想的で驚くべき効果を見せています。構図的には超現実的な空間感があり、幻想的な世界を作り出しました。特に巨大な作品は、漠然としていながらも勢いがあり、人々を惹きつける魅力を持ちます。近距離で見ると、現代の抽象画のような視覚効果になっています。来支鋼氏は巧みに余白を残すことでうまく構図し、抑えきれない生命力と勢いのある躍動感を作り出しました。これは非常に素晴らしいことであり、多くの山水画が達せない境地い到達しており、彼自身も積墨の頂点を極めました。
— 于洋氏(中央美術院教授、国家主題性美術創作研究センター副主任)
来支鋼氏の山水は伝統に由来し、時代の最先端を行き、水墨の勢いや筆墨の構図で来支鋼流の山水スタイルを確立しました。彼は水墨をぼかし、灰色を操り、筆墨の基調と豊かなグラデーションを呈しています。 構造の個性的な表現においては、細い皴法に墨の趣を与えることで、繊細さを備える新しいスタイルを生み出しました。筆致と墨痕が一体となった画法において、八大山人が石濤を「南派か北派か判断することができず、常に雲煙を描いている」と評価しているように、来支鋼氏も現存する流派と時代の枠を超え、自分なりのスタイルを形成させました。彼が描く山水と波は映像の質感を見せ、現代性を備えた巨大なホールで展示されると、その勢いがすぐに伝わります。現代山水画の視覚的な表現力を通じて、来支鋼氏の独特で魅力に満ちた芸術的特徴を表現しています。
— 魏祥奇氏(中国美術館の研究館員、キュレーター)
来支鋼氏は3つの主要な方面から自分の芸術を構築しています。一:新中国成立して以来の山水画の発展、特に山水写生画の源。二:改革開放以来、現代水墨画から実験水墨画までの新しい概念が来支鋼氏の創作に新たな表現をもたらした。三:筆墨に対する新たな理解、と中国伝統に対する新たな理解。以上の3つのポイントが融合して、来支鋼氏の芸術表現とスタイルを形成させ、彼の探索の成果を体現しています。 田舎出身の彼は努力を重ね、やっと注目されるようになりました。実に素晴らしいことです。私たちは彼の創作から新しいものを発見することができます。来支鋼氏は水、空気、雲煙などの無形のものを捉え、写生を通じて、立体感と合理性を与え、見ている人に絵の中に 入ったかのような感覚を与えます。現代の水墨理論はプロセス、体験と物理的なものを重視しており、仙山や桃源郷以外にも、現代水墨のような表現が存在しています。
来支鋼氏の作品は非常に大きいため、メガストラクチャーのような方法で陳列されます。メガストラクチャーは抽象表現主義の5メートルの巨大な額縁や19世紀のフランス歴史をテーマにした額縁に遡ることができます。このような巨大な額縁はまた、神様に祈祷する人間及び人間と神の関係性を表明する教会の祭壇画に由来しています。強い躍動感も同様にロマン派の風景画に存在しており、芸術の抽象性に結びつけることができます。 現代芸術の視点から来支鋼氏の作品の「潮」を考察してみると、抽象性の崇高さをうまく表現し、強い躍動感が感じられます。そしてそのサイズはものすごく巨大で、壮観な祭壇画のようなものです。何を祭っているのかというと、ある種の山水概念や抽象的な理念と理解して良いでしょう。